5月13日いよいよ
2011年 05月 21日
・・・つづき。
「昼頃には産まれるようにする。」と、医師は言っていたけど、なかなか進まず。
胎動も相変わらず元気にあり。
次第に痛みが強くなってくるが、10回の深呼吸で波は引いていく程度。
足のこむら返りが、お腹に来るような痛み。
子宮口は4㎝開大。
2回目のプロスタを内服。
そのうち声が出てしまうほどの痛みになってくる。
さすがの私でも昼食は取れず。
それまではそっとしておいてほしい陣痛だったのが、さすってほしい陣痛になる。
お腹の痛みだけだったのに、腰とお尻の痛みが加わる。
この時点では付き添いは誰もいなかったため、唸り声を聞きつけた助産師さんが付き添ってくれる。
痛みが来ると、どこかを力いっぱい握らずにはいられない。
助産師さんが手を貸してくれる。助産師さんの手を握りつぶす。(勢い)
肛門をぐっと押さえてもらうと楽。
姉から頻繁にメールや電話があるが、対応する余裕はなくなる。
だいぶ陣痛が辛くなってはいたが、3回目のプロスタを内服。
もう横にはなっていられず、座ってはテニスボールを肛門の下に置き、全体重で圧迫する。
そして、腰を常にさすってもらう。
でないと、耐えられない。
母親が来てくれる。
母親にもたれかけながら、陣痛に耐える。
もう20回の深呼吸でも引かないほどに波は長く、また間隔は短くなっていた。
過呼吸になり、手先がしびれてくる。
ビニール袋で口を覆いながら呼吸する。汗だく。
唸り声が出てしまう。
「まだあかん?」「どうしたらいい?」「たすけてー!」と叫ぶ。
助産師さんたちに敬語を使う余裕もなくなる。
何か話しかけられても、単語でしか返せない。
波が引いた少しの間に気が遠くなる。気を失うように寝る。
またすぐ波が来て、母親の肩に頭をこすりつけ、手を握り潰し、ひたすら耐える。
点滴ラインが取られる。
子宮口はまだ全開しない。破水も起こらない。
13時半頃、仕事中の旦那から母親に電話があり、「許可が下りたので今から行きます!」と。
ブスコパンを追加しようとしていた助産師さんに、
「主人が来るまで待ちますー!」と告げる。
旦那の到着予定15時。それまで耐える覚悟をする。
もう、イルカが泳いでる映像なんぞ、どうでもよかった。
そんなものに目をやる余裕もなかった。
鎮静効果があるはずの青い照明も、何の効果も示さず私は髪を振り乱しては絶叫していた。
ただ、相も変わらず、大きなモニターの中でイルカはむなしく泳ぎ続けていた。(のだろう。)
そのうち、声を出す余力さえなくなり、ひたすらビニール袋を口に当てながら陣痛の波をやり過ごして、意識が朦朧としながらひたすら旦那が来るのを待つ。
旦那より早く駆けつけた父親が、そんなシンナー中毒のような私の姿をビデオに撮っては、母親に怒られていた。
怒られた父親が、母親の指導の下、私の腰をさすってくれる。
4人目の孫にして、初めてお産を手伝ったらしい。(私たちが産まれたときも立ち会わず。)
15時前、待ちわびた旦那が到着する。助産師さんにコールし、ブスコパン追加してもらう。
母親と交代した旦那の手を早速握りつぶす。あとで見たら内出血ができていた。
まだ破水が起こらない。よって、子宮口も開かない。
いきみたい衝動はMAX。「いきみたいー!!」と繰り返す。
仕方なく、人工破膜して破水。
が、子宮口が全開しない。
旦那に頭突きをくらわしながら、手を握りつぶし、最後の力をふりしぼって唸る。(やってはいけない。)
医師が来て、また子宮口をグリグリこじ開け、「もう出すから。」と言って去る。
助産師さんたちがお産の準備を始め、座っていたいとダダをこねる私を無理やり寝かしつけ、お産体勢をとらせる。
内診する助産師さんが、「あ、もう子宮口全開と言っていいかも。」と言う。
「次から波のピークが来たらいきんでいいよ。」と言う天使の声!!!
でも、いざ、いきむとなると、どういきんでいいのか分からない。
・・・・・つづく。
「昼頃には産まれるようにする。」と、医師は言っていたけど、なかなか進まず。
胎動も相変わらず元気にあり。
次第に痛みが強くなってくるが、10回の深呼吸で波は引いていく程度。
足のこむら返りが、お腹に来るような痛み。
子宮口は4㎝開大。
2回目のプロスタを内服。
そのうち声が出てしまうほどの痛みになってくる。
さすがの私でも昼食は取れず。
それまではそっとしておいてほしい陣痛だったのが、さすってほしい陣痛になる。
お腹の痛みだけだったのに、腰とお尻の痛みが加わる。
この時点では付き添いは誰もいなかったため、唸り声を聞きつけた助産師さんが付き添ってくれる。
痛みが来ると、どこかを力いっぱい握らずにはいられない。
助産師さんが手を貸してくれる。助産師さんの手を握りつぶす。(勢い)
肛門をぐっと押さえてもらうと楽。
姉から頻繁にメールや電話があるが、対応する余裕はなくなる。
だいぶ陣痛が辛くなってはいたが、3回目のプロスタを内服。
もう横にはなっていられず、座ってはテニスボールを肛門の下に置き、全体重で圧迫する。
そして、腰を常にさすってもらう。
でないと、耐えられない。
母親が来てくれる。
母親にもたれかけながら、陣痛に耐える。
もう20回の深呼吸でも引かないほどに波は長く、また間隔は短くなっていた。
過呼吸になり、手先がしびれてくる。
ビニール袋で口を覆いながら呼吸する。汗だく。
唸り声が出てしまう。
「まだあかん?」「どうしたらいい?」「たすけてー!」と叫ぶ。
助産師さんたちに敬語を使う余裕もなくなる。
何か話しかけられても、単語でしか返せない。
波が引いた少しの間に気が遠くなる。気を失うように寝る。
またすぐ波が来て、母親の肩に頭をこすりつけ、手を握り潰し、ひたすら耐える。
点滴ラインが取られる。
子宮口はまだ全開しない。破水も起こらない。
13時半頃、仕事中の旦那から母親に電話があり、「許可が下りたので今から行きます!」と。
ブスコパンを追加しようとしていた助産師さんに、
「主人が来るまで待ちますー!」と告げる。
旦那の到着予定15時。それまで耐える覚悟をする。
もう、イルカが泳いでる映像なんぞ、どうでもよかった。
そんなものに目をやる余裕もなかった。
鎮静効果があるはずの青い照明も、何の効果も示さず私は髪を振り乱しては絶叫していた。
ただ、相も変わらず、大きなモニターの中でイルカはむなしく泳ぎ続けていた。(のだろう。)
そのうち、声を出す余力さえなくなり、ひたすらビニール袋を口に当てながら陣痛の波をやり過ごして、意識が朦朧としながらひたすら旦那が来るのを待つ。
旦那より早く駆けつけた父親が、そんなシンナー中毒のような私の姿をビデオに撮っては、母親に怒られていた。
怒られた父親が、母親の指導の下、私の腰をさすってくれる。
4人目の孫にして、初めてお産を手伝ったらしい。(私たちが産まれたときも立ち会わず。)
15時前、待ちわびた旦那が到着する。助産師さんにコールし、ブスコパン追加してもらう。
母親と交代した旦那の手を早速握りつぶす。あとで見たら内出血ができていた。
まだ破水が起こらない。よって、子宮口も開かない。
いきみたい衝動はMAX。「いきみたいー!!」と繰り返す。
仕方なく、人工破膜して破水。
が、子宮口が全開しない。
旦那に頭突きをくらわしながら、手を握りつぶし、最後の力をふりしぼって唸る。(やってはいけない。)
医師が来て、また子宮口をグリグリこじ開け、「もう出すから。」と言って去る。
助産師さんたちがお産の準備を始め、座っていたいとダダをこねる私を無理やり寝かしつけ、お産体勢をとらせる。
内診する助産師さんが、「あ、もう子宮口全開と言っていいかも。」と言う。
「次から波のピークが来たらいきんでいいよ。」と言う天使の声!!!
でも、いざ、いきむとなると、どういきんでいいのか分からない。
・・・・・つづく。
by haruuraranman
| 2011-05-21 19:45